「今までこの仕事を続けてこられたのは好きだから。」ただ、仕事は自分がやりたいからと言ってできるものではありませんが、僕に期待してくれる人がいるなら、それに応えたい」
言葉に、芸歴約40年のキャリアがにじむ。
その活動の中心は俳優業だが、多才故、バラエティーなどの出演も少なくない。その一つ、日本テレビ系「それって⁉実際どうなの課」で司会を務める生瀬勝久(61)。「世の中には、昔からの言い伝えや都市伝説、さらにうまい話はあふれているが、それって実際はどうなのか?」をテーマに、体を張って調べ、検証する。
「厳しい現実を超えてみせようと思う人が出てくれば、この番組は正解です」。
過去の放送で、釣り好きな木村拓哉と東京湾で釣りに挑戦し、一獲千金を狙った。
初日は収穫がなかったが、諦め切れない生瀬たちは、2日目に狙っていた太刀魚やタイを釣り上げた。
「ものすごい集中力だったし、達成感を味わった」と笑う。
今後も「趣味の釣り、ゴルフへの挑戦は続けていきたい」と意気軒高だ。俳優としては強烈な個性を放つ。
中日新聞サンデー版
「自分が育った環境やこれまで生きてきたことが役者のベース。そのうえで特殊なアプローチの仕方で役作りをしてきた」という自負を持つ。
それに対して司会などを務める時の自身のありようを尋ねると、「あれが僕の日常です」と呵々大笑した。
名脇役ランキングでは何年も安定して上位にランクインする生瀬勝久さん。
コメディドラマからシリアスな作品まで、様々な作品に出演され、どんな世界観にも溶け込むことができる、まさに名バイプレイヤーと言える俳優さん。
生瀬勝久さん、遠藤憲一さん、小日向文世さんと「3強」と呼ばれ、
各局で奪い合いになるほど「最強の脇役」とまで言われているそうです。
ドラマ、映画、舞台、さらにはバラエティーまで、なんでも来い!って感じですね。
そんな生瀬さん、どんな方なんでしょうか。
生瀬勝久 プロフィール
- 名前(本名) 生瀬勝久(なませかつひさ)
- 旧芸名 槍魔栗三助(やりまくりさんすけ)
- 生年月日 1960年10月13日
- 出身地 兵庫県西宮市
- 血液型 O型
- 身長 170cm
- 大学 同志社大学文学部社会学科(現在の社会学部社会学科)
- 趣味 釣り、ゴルフ
- 職業 俳優
- 劇団 そとこばち(1983年~2001年)
- 所属事務所 リコモーション
旧芸名の槍魔栗三助・・・なんか笑えます。
生瀬さんの性格が出ているといっていいのでしょうか。
槍魔栗三助から生瀬勝久へ改名
1988年度下期のNHK朝ドラ『純ちゃんの応援歌』に出演がきっかけになっているようです。
ちなみに『純ちゃんの応援歌』のヒロインは山口智子さんで、唐沢寿明さんも弟役で出演していましたね。
NHK初出演だったらしいのですが、槍魔栗三助(やりまくりさんすけ)の芸名ではNHK的にふさわしくないなーという理由から、芸名を本名に変えたということです。
その後も槍魔栗三助で活動してたらしいのですが、本格的にテレビで活動していくにあたって、1990年10月に本名の生瀬勝久でいく!と名義統一されたそうです。
槍魔栗三助だとお笑い芸人のようですね。
私は結構好きですけどね、( ´∀` )
辰巳琢郎にスカウトされた⁈
同志社大学の劇団「第三劇場」に所属していた時、京都大学系の劇団「劇団そとこばち」の辰巳琢郎にスカウトされ、1983年入団。
同年『猿飛佐助』で初舞台を踏んだそうです。
大学卒業時、企業から内定を得ていたにもかかわらず、辞退。
就職が決まって会社に対しての誓約書を書いているうちに、本能的にお芝居が好きだと。
初めて、仕事に就くよりもお芝居をしたいと思ったんです。
その気持ちに正直に生きようと思いました。それを生業にしようとか、成功したいとは思っていなかった。
お芝居をできればいいと。だから僕はすごく幸せなんです。
広報たからづか より
自分の好きなことが生業になっているということが。
現在、辰巳琢郎さんも生瀬勝久さんも、押しも押されもしない名俳優になられました。
生瀬勝久 妻はモデルでヨガセラピスト!!
生瀬勝久さんの妻は、堀本陽子(ほりもとようこ)さん。
雑誌『美ST』のモデルもされてたとか。美のカリスマですね。
- モデルでヨガセラピスト
- 生年月日 1972年6月18日
- 出身地 大阪府
- 身長 170㎝
年の差カップル、高身長カップルですね。
堀本さんが生瀬さんの大ファンだったようで、連絡先を記したファンレターを送り、
俳優とファンという関係から、交際に発展していったそうです。
でも、今では生瀬さんに「宝物は?」と質問すると、
「妻です!」と答えていらっしゃいます。
ステキすぎますね。
おうつくしい ☆☆☆
お二人の間には、息子さんがお一人いらしゃるようです。
まとめ
調べているうちにわかったことのなかに、
- 学生の頃は吹奏楽部でサックスを担当していた、
- 生徒会長をしていた、
- 駅伝の選手だった、
- 宝塚ファミリーランドでジュースを売るアルバイトをしていたか、
- お好み屋さんでアルバイトをしていた、、
- 旧芸名は、槍魔栗三助 (笑)
とかとか、いろいろ発見がありました。
どれもこれも今の生瀬さんの生業であるお芝居につながり、役立っていそうですね。
夫婦仲もよさげで、俳優としての仕事も盤石。
これからの活躍も楽しみにしています。
今度は名脇役でなく、主役でたくさんみたいです!
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